梅雨の夜、玄関で立ち尽くした
去年の六月のことだった。得意先との会食を終えて帰宅した私は、玄関のたたきで靴を脱こうとして、手が止まった。革靴のかかとに指を引っかけてもびくともしない。ひもをゆるめてようやく脱げたとき、靴下の跡が足首にくっきり残っていた。押してみると、皮膚がもどるまでに数秒かかった。
「むくんでいる」というより、「詰まっている」という感覚に近かった。その夜は赤ワインをグラスで三杯飲んでいた。節酒を始める前なら「よくあること」で片づけていただろう。だが、ちょうどその頃、γ-GTPが基準値の二倍を超えて医師から減酒指導を受けたばかりで、私は自分の身体の信号をいつもより注意深く読もうとしていた。
あの玄関の十秒が、私が「お酒と水の巡り」を本気で考えるきっかけになった。
アルコールが体内の水分をかき乱す、というシーン
「利尿」のあとに起きること
お酒を飲むと、トイレが近くなる。これは多くの人が経験することだと思う。アルコールには抗利尿ホルモン(ADH)の分泌を抑える働きがあるため、飲んでいる間は尿量が増えやすい。以前の私は「お酒は利尿作用があるからむくまない」とすら思い込んでいた。
ところが、翌朝の足首を見れば答えは出ていた。飲んだ翌朝ほど、指を押したときの「戻り」が鈍い。これはなぜか。飲酒中に過剰に水分が排出されると、身体はその後「失った水分を取り戻そう」と働き、組織に水を溜め込みやすくなる。加えて、アルコールの代謝過程で生じる物質が血管壁への影響を与え、水分が血管の外へ滲み出やすい状態になるとも言われている。利尿と保水の振り子が、飲み過ぎると大きく揺れてしまう。私の「詰まっている」感覚は、この振り子の戻りだったのかもしれない。
会食の翌朝、私が確かめた二つのこと
節酒を始めてからの習慣として、飲んだ翌朝には二つの確認をするようにした。一つ目は、足首と手の甲を指で押して、皮膚が戻るまでの時間を体感で測ること。二つ目は、起き抜けに体重計に乗ること。これはむくみの代替指標として、前日比を眺めるだけでいい。数値の意味を深読みするためではなく、「今日の身体の状態」を掴む朝のルーティンだ。
あの六月の会食翌朝、体重は前日より一キロ近く重く、足首の戻りは明らかに鈍かった。一方、今年に入って週三日の飲まない日を設け、飲む日も二杯までに収めてから同じ確認をすると、翌朝の数値の振れ幅が明らかに小さくなった。「気のせいかな」と思っていたが、三ヵ月も続けると傾向として見えてくる。
「飲む日」と「飲まない日」で水の通り道がどう変わるか
飲まない夜の朝、身体が軽く感じる理由
以前は「飲まない夜は何となく物足りない」と感じていた。それが今は、翌朝の身体の軽さを先取りして楽しめるようになった。飲まない夜は、就寝前に白湯を一杯飲んでから横になる。すると朝のトイレが早く、尿の色も薄い。水が「出入りしやすい状態」で身体が動いている、という感覚がある。
これは私の体感に過ぎないが、一つ合理的な解釈はできる。アルコールがない状態では、夜間の水分代謝が余計な負荷を受けない。腎臓も静かに仕事をこなし、リンパの流れも乱されにくい。翌朝の「むくみのなさ」は、身体が穏やかに一夜を過ごせた証拠のように、私には見える。
二杯までの夜、グラスのペースを変えた
飲む日でも、グラスとグラスの間に水を一杯挟む習慣を取り入れた。以前は会食の席でひたすら飲み続けていたが、今は「水→ワイン→水→ワイン」のリズムを意識する。これだけで、帰宅時の足のだるさが変わった。翌朝の靴下跡も、あの六月の夜ほど深くならなくなった。
グラス二杯という上限を守ることより、このペースの変化が水分代謝に効いている気がしている。アルコールによる利尿の振れ幅を小さくすることで、身体が「急いで水を回収しよう」とする反応を抑えられるのではないか、というのが私なりの仮説だ。
γ-GTPと脂肪肝、数値が教えてくれたこと
節酒を始めたきっかけはむくみではなく、健診の数値だった。γ-GTPが基準値の二倍を超えたとき、医師からは「肝臓に脂肪が蓄積していると代謝全体が落ちる」と説明を受けた。脂肪肝になると肝臓のアルブミン産生能が低下し、それが血液の浸透圧に影響してむくみに繋がりやすくなる、という話も聞いた。つまり、むくみは「飲み過ぎた夜の翌朝問題」だけではなく、慢性的な肝臓への負荷が積み重なった結果として現れることもある。
節酒から九ヵ月が経った今年春の健診で、γ-GTPは基準値のやや上まで下がった。まだ正常範囲ではないが、方向は変わった。そしてこの頃から、朝の足首の感触も以前より柔らかくなってきた。数値と体感がゆっくり連動してきた、という感覚がある。
「むくみ」という言葉は日常的に軽く使われるが、私にとっては今や身体の内側の「水の巡り具合」を測るバロメーターになっている。健診の数字と同じように、毎朝の足首と手の甲が語りかけてくる情報として受け取るようになった。
梅雨の今年、玄関での気分は変わった
今年の六月、同じ梅雨の季節に、似たような会食があった。今度は飲んだのは二杯。水を交互に挟み、帰りの電車では足を少し動かしながら座った。玄関で靴を脱いだとき、かかとに指をかけるとすっと抜けた。足首を押してみると、すぐに皮膚が戻った。
たったそれだけのことだが、去年の同じ季節に立ち尽くした記憶と並べると、随分違う。量を減らし、飲まない日を設け、飲む日も水を挟む。特別なことは何もしていない。ただ、身体に流れる水の量とリズムを「整えすぎず、乱しすぎず」に保とうとするようになっただけだ。
五十代になると、身体はちゃんと教えてくれる。ただ聞き方を知らなかっただけで、むくみも、重さも、靴の脱げ方も、全部メッセージだった。節酒一年目の私が学んだのは、飲む量だけでなく、「水の通り道を塞がない選択」という視点だった。
※本記事は一般情報であり医療的助言ではありません。体調の変化や数値の気になる方は医療機関にご相談ください。

