「酒は百薬の長」に科学的根拠はあるのか

「酒は百薬の長」というフレーズを、自分はかつて都合よく使っていたんです。ビール500mlを2缶空けた夜、罪悪感をなだめるための呪文のように。でも断酒3年目に入ってから、この言葉の根拠を一度きちんと調べてみようと思って、研究論文にあたり始めました。そこで見えてきたのは、「嘘か本当か」という単純な二択ではなく、「統計の作られ方によって正反対の結論が出る」という、もっと複雑な話だったんです。

この記事では、酒は百薬の長が嘘とされる根拠——とりわけ「Jカーブ仮説」の何が問題だったのかを、できる限り丁寧にほどいていきます。研究データを読む際に自分が意識していることも、合わせて書き添えます。

Jカーブ仮説とは何か、そしてなぜ長く信じられたのか

「百薬の長」の科学的な裏付けとして長年引用されてきたのが、いわゆる「Jカーブ効果」です。飲酒量と死亡リスクをグラフにすると、まったく飲まない人よりも少量飲む人のほうがリスクが低く、飲む量が増えるにつれてリスクが上がる——グラフの形がJの字に見えることからそう呼ばれました。

このJカーブ、実は心疾患や脳梗塞などの特定疾患については「傾向が確認されている」という報告が複数存在します。アルコールが善玉コレステロール(HDL)を増やしたり、血小板凝集を抑制したりする作用は、実験レベルでは確かに観察されています。だから「完全に嘘」とも言えず、話が厄介なんです。

ただし問題は、このJカーブが「総死亡率」や「がんリスク」に当てはめられ、「少量の飲酒は体にいい」という一般論に拡大解釈されていったことでした。高血圧、脂質異常症、脳出血、乳がんなど、飲酒量が少量であってもリスクが着実に上昇する疾患が多数あることは、当時から分かっていたのにもかかわらず。

Jカーブを支えていた「統計の穴」

では、なぜ「少量飲む人がいちばん健康」という研究結果が何十年も積み上がったのか。研究者の間で長く議論されてきたのが、「元飲酒者バイアス(sick-quitter effect)」と呼ばれる問題です。

コホート研究(人々を長期間追跡する疫学研究)では、被験者を「飲まない人」「少量飲む人」「大量に飲む人」などのグループに分けて健康アウトカムを比較します。ここで問題になるのが、「飲まない人」グループの中身です。このグループには、もともと健康なために最初から飲まない人だけでなく、病気になったり体を壊したりして飲むのをやめた人——いわゆる「元飲酒者」が混在していたんです。

元飲酒者は飲酒歴による臓器へのダメージをすでに抱えている可能性が高く、死亡リスクが高くなりやすい。つまり、「飲まない人のリスクが高く見える」のは、飲酒をやめざるを得なかった不健康な人たちがその集団を押し上げていたから——という構造的な歪みがあったわけです。

2024年に学術誌「Addiction」に掲載されたサーリッチらのアンブレラレビュー(複数のメタアナリシスをまとめた最上位の研究設計)では、2022年3月までに発表された総死亡リスクと飲酒量に関するシステマティックレビュー・メタアナリシスの70%以上が、対照群から元飲酒者を除外していなかったと報告しています。このバイアスを適切に除外して再分析すると、「少量飲酒が飲まない人より健康的で長寿をもたらす」という結果は得られなくなる——そう指摘した研究は、2010年代以降に複数登場しています。(Sarich et al., Addiction, 2024. doi:10.1111/add.16446)

喫煙との交絡という問題も

もう一つ、Jカーブを歪める要因として指摘されてきたのが「元喫煙者バイアス」です。飲まない人の集団には、かつて喫煙していたが体調を崩してたばこも酒もやめた人が一定数含まれます。喫煙の健康被害は長期間にわたって残存するため、この人たちが「飲まない群のリスク」を底上げしていたと考えられます。飲酒量と喫煙習慣を切り分けて分析することは技術的に難しく、古いコホート研究ではこの交絡因子の処理が不十分なケースが多かった。

これらのバイアスを踏まえると、「酒は百薬の長は嘘」という結論は単純化しすぎですが、「少量の飲酒が体にいいというのは根拠が薄い」とはっきり言えます。WHO(世界保健機関)が2023年に「アルコールに安全な量はない」と明言したのも、こうした研究の蓄積を背景にしています。

腸内細菌という、見落とされがちな視点

断酒してから半年ほどで、自分が驚いたのは「お腹の調子」でした。毎晩ビールを飲んでいた頃は、朝にかけて胃腸が重く、なんとなくむくんでいるような感覚が常にあったんです。最初は「年のせいかな」と思っていたのが、飲まなくなったら数週間でスッと消えていった。

その理由の一端は、腸内細菌研究が教えてくれました。慢性的な飲酒は腸内細菌叢(腸内フローラ)の構成を乱す「ディスバイオシス」を引き起こすことが、複数の研究で報告されています。2023年に学術誌「Journal of Gastroenterology and Hepatology」に掲載されたレビューでは、慢性的な飲酒が腸内細菌・真菌・ウイルス叢の組成を変化させ、腸管バリアの機能低下(いわゆる「リーキーガット」)につながりうることが整理されています。腸壁が弱まると、細菌由来の内毒素(エンドトキシン)が血流に漏れ出し、全身の炎症を促進するというメカニズムです。(Jew et al., J Gastroenterol Hepatol, 2023. doi:10.1111/jgh.16199)

断酒で腸内環境は戻るのか

同レビューでは、飲酒をやめることでアルコール誘発性の腸内細菌叢の乱れが「少なくとも部分的には回復する」可能性も示されています。「少なくとも部分的には」という留保がついている点は誠実で、自分はこういう表現の研究を信頼します。完全に元通りかどうかは個人差や飲酒歴の長さによるのでしょうが、変化が起きること自体は確かなようです。

自分が断酒3年目に感じている「お腹の安定感」が、腸内細菌レベルでの変化と関係しているかどうかは証明できません。でも、毎晩アルコールで腸内フローラを攪拌し続けていた10年間を思うと、「百薬の長」どころか「腸への慢性的なストレス源」だったのかもしれないと、今は素直に思えます。

データを読む前に、問うべきこと

「酒は百薬の長」という言葉の根拠を調べるこの作業は、自分にとってある種の「精算」でした。10年以上、ビールを2缶空けながら、都合のいい研究だけを拾い読みしていた頃の自分への。

研究データを見るとき、自分が今意識しているのは三つのことです。一つ目は「対照群に誰が含まれているか」。元飲酒者が混じっていないか。二つ目は「どの疾患を見ているか」。心疾患に限った話を、がんや総死亡率の話として読み替えていないか。三つ目は「誰がその研究を支援しているか」。酒造業界由来のファンディングがないかどうか。

少量なら大丈夫」という安心感は、人間の心理として理解できます。でもその安心感を支えていたJカーブが、統計の構造的な歪みの上に成り立っていた可能性が高いとわかった今、自分はもう「百薬の長」を根拠に飲む気にはなれません。

お酒が好きな人を責めたいわけではありません。ただ、この俗説の「嘘の根拠」を一度きちんと知っておくことは、自分の飲み方を自分で選ぶための材料になると、自分は思っています。

※本記事は一般情報であり医療的助言ではありません。健康状態や飲酒に関するご不安は医師・専門家にご相談ください。