ソバーキュリアスとは何か、一言で言うと

「ソバーキュリアスって何ですか?」と聞かれたら、私はこう答えることにしている。お酒を飲まないことへの好奇心を持ちながら、意識的に飲まない量を減らしていくライフスタイルのことだ、と。

英語では "Sober Curious" と書く。Sober は「しらふの・お酒を飲まない状態」、Curious は「好奇心旺盛な・〜に興味がある」。直訳すれば「しらふの状態に好奇心を持つ」。2018年にルビー・ウォリントンの著書がきっかけで広まった言葉で、欧米のウェルネス・カルチャーの中から生まれた。

ポイントは、病気の治療でも義務でもないということだ。「飲まずにいたら、自分はどう変わるんだろう?」という純粋な問いから始まる。そこに我慢の影はない。

禁酒・断酒とは、ここが決定的に違う

「やめなければ」ではなく「やめてみたら?」

禁酒や断酒という言葉には、どうしても「絶つ」「耐える」というイメージがついてくる。もちろん、それが必要な人にとって断酒は大切な選択だし、軽く扱うつもりは全くない。ただ、ソバーキュリアスが指す状態は、スタート地点の感情がまるで違う。

禁酒の出発点は、多くの場合「このままではまずい」という危機感や義務感にある。一方でソバーキュリアスの出発点は、飲まない自分はどんな感覚がするんだろう」という興味だ。強制ではなく、実験に近い。完全にやめることが目標ではないから、「昨日ちょっと飲んだけど、また今日から飲まない日を選ぼう」という柔軟さがある。

その柔軟さこそが、ソバーキュリアスを多くの人にとって入りやすくしている理由だと思う。

「完璧」を求めない。だから続く

禁酒という枠組みだと、一口でも飲んだ瞬間に「失敗した」という感覚が生まれやすい。そのプレッシャーが、かえってお酒との関係をこじらせてしまうこともある。

ソバーキュリアスには、そのゼロイチの厳しさがない。今日は飲まない。来週の食事会では少し飲む。そして翌日からまた飲まない日を選ぶ。その繰り返しの中で、自分がお酒と本当はどう向き合いたいのかを、じっくり見つけていく。完璧さより、自分自身への好奇心の方が大切という考え方だ。

私がソバーキュリアスという言葉に出会った夜

授乳室で読んだ、小さな記事

子どもが生まれて数ヶ月が経った頃、授乳をしながらスマートフォンをスクロールしていた夜のことを今でも覚えている。深夜2時ごろだったと思う。部屋は暗くて、子どもの飲む音だけが静かに続いていた。

そのとき目に止まったのが、海外のウェルネスメディアの短い記事だった。「Sober Curious Movement」という見出し。授乳中だからどうせ飲めないし、と斜め読みしようとしたのに、気がつくと最後まで読んでいた。

記事にはこう書いてあった。「これは禁酒運動ではない。お酒のない時間に何があるかを、自分で確かめるための実験だ」と。

その一文が、私の中でぽんと音を立てた気がした。実験。我慢じゃなくて、実験。

「飲めない」が「飲まない」に変わった瞬間

授乳中は当然お酒を飲まない。「飲めない期間」として過ごすのが普通だと思っていた。でもあの記事を読んでから、私の中でその言葉が静かに入れ替わった。

飲めないのではなく、飲まないことを選んでいる。その差はとても小さいように見えて、朝の目覚めの感覚が変わるくらい大きかった。飲めない自分は、どこか制限されているような感覚がある。飲まないと選んだ自分は、何かを手に入れているような感覚がある。

授乳が終わったあと、もう一度お酒を飲みたいかどうかを考えてみたら、答えは「必ずしも、そうじゃないかも」だった。子どもが寝たあとのぼんやりした夜の時間が、以前よりずっと好きになっていたから。お酒がなくても、その時間は十分に満ちていた。

それが、私がソバーキュリアスとして暮らし始めたきっかけだ。

ソバーキュリアスが広がっている理由

「健康のため」だけじゃない動機

ソバーキュリアスという言葉が欧米で注目を集めた背景には、ウェルネス文化の台頭がある。睡眠の質、メンタルの安定、朝の頭のクリアさ。そういったものを大切にする人が増えるにつれて、「なんとなく飲んできたお酒を、一度見直してみよう」という動きが自然と生まれてきた。

日本でも、ノンアルコール飲料の選択肢が増えたことで、「飲まない夜を楽しむ」ための環境が少しずつ育ってきた。外食先でノンアルを頼んでも不思議な顔をされなくなったし、おしゃれなノンアルカクテルを出す店も増えた。ソバーキュリアスが浸透しやすい土台ができてきている。

感情に素直でいられる夜

私が飲まない夜を選ぶようになってから気づいたことがある。お酒を飲むとき、私は何かを「ぼかしたい」と思っていることが多かった。疲れをぼかす、気まずさをぼかす、ひとりでいる感覚をぼかす。お酒はそれがうまい。

でも飲まない夜は、ぼかさないでいる夜だ。今日疲れたな、という感覚もそのまま受け取る。子どもとの時間が楽しかった、という満足感もそのまま味わう。感情が素直に自分の手の中にある感じがして、それが今はとても心地いい。

ソバーキュリアスは、禁欲でも修行でもない。自分の感覚に正直でいるための、ひとつの選択だと私は思っている。興味があれば、まず今夜だけ試してみてほしい。「飲まない夜って、どんな感じだろう?」その好奇心が、ソバーキュリアスの始まりだ。

ソバーキュリアスとは、我慢の先にあるものではなく、好奇心の延長にある選択のこと。それだけ覚えておいてもらえたら、この記事を書いた意味がある。

※本記事は一般情報であり、医療的助言・診断・治療の推奨ではありません。お酒との付き合い方についてお悩みの方は、医療機関や専門家にご相談ください。