7月の夜、グラスに手が伸びた

去年の夏のことだ。正確には、断酒を始めてから2年11か月目の夜だった。

取引先との会食だった。個室の居酒屋。冷房が効きすぎていて、テーブルには最初からビールが並んでいた。自分はいつもどおり「ウーロン茶でいいです」と言うつもりだった。実際、最初の乾杯はそうした。でも2時間後、ふと気が緩んだ瞬間があった。隣の人がビールを注いでくれようとした。断ろうとした。けれど、自分の口から出た言葉は「少しだけ、いただきます」だった。

グラス半分ほど飲んだ。味は覚えていない。ただ、飲んだという事実だけが、そこに残った。

帰りの電車の中で、自分は窓の外の夜景をずっと見ていた。3年近く積み上げてきたものが崩れたような気がして、何とも言えない感覚があった。後悔とも違う。恥ずかしさとも違う。ただ、静かにうろたえていた。

翌朝、まず自分に聞いたこと

目が覚めたのは6時前だった。カーテンの隙間から光が入っていた。体は悪くなかった。頭も痛くない。グラス半分だから当然かもしれないが、それよりも先に気になったのは「自分は今、どんな気持ちか」ということだった。

布団の中で少しの間、天井を見た。

怒りはなかった。自分を責める声も、思ったより小さかった。あったのは、「また今日から始めればいい」という、静かな確認だった。

断酒を始めた最初の頃、自分は「1日でも飲んだら終わり」という意識を持っていたんです。でもあの朝、その考え方が少し変わった。3年という時間は消えない。昨夜の出来事は昨夜の出来事で、今朝の自分は今朝の自分だ、と。

これは自分に甘くしているわけではない。ただ、現実を細かく見ると、「3年近く飲まずにいた自分」と「昨夜グラス半分飲んだ自分」は、同一人物の中に両方存在する。その両方を正直に認めることが、まず最初に必要だったんです。

立て直しは「仕切り直し」じゃなく「続き」から始まる

記録をつけ直す、ではなく記録を見直す

断酒を始めたとき、自分はノートに日付と短い一言を書く習慣を作っていた。「今日も飲まなかった」ではなく、「今日どんな夜を過ごしたか」を一行だけ書く、というものだ。

翌朝、そのノートを開いた。直前のページには「会食の予定、気持ちは落ち着いている」と書いてあった。その次のページが昨夜のページで、自分は短くこう書いた。「飲んだ。グラス半分。動揺している。でも、また今日から。」

記録を消そうとは思わなかった。消したら、そこに何もなかったことになる。でも、何かがあったことは確かで、それを正直に残すことが、自分にとっての「続き」の始め方だったと気づきました。

「なぜ飲んだか」より「どんな場面だったか」を振り返る

再飲酒の後、人は「なぜ飲んでしまったのか」という問いに囚われやすい。自分もそうだった。でも「なぜ」を追いかけると、どんどん内側に向かっていく。代わりに試したのは、「どんな場面だったか」を具体的に思い出すことだった。

個室だった。冷房が強かった。2時間という長さ。隣の人の動作。乾杯を一度断ったことで気が緩んだ感覚。そういった「場面の構成要素」を冷静に並べていくと、自分を責める感情より先に「次にどうするか」が見えてくる。

長い会食の後半は特に注意する。最初に断っても油断しない。それだけを、頭に入れた。

3日後の夕方に気づいたこと

再飲酒から3日が経った夕方、仕事を終えてスーパーに寄った。いつもの帰り道だった。お茶を選んでいたとき、ふと気づいたことがあった。

「あ、また今日も飲まなかった」と、自然に思っていた。

特別なことは何もしていない。誓いを立て直したわけでも、新しいルールを作ったわけでも、誰かに打ち明けたわけでもない。ただ、あの翌朝に「続き」を選んで、3日間そのまま過ごしただけだった。

断酒という選択は、スタートラインが1本だけあるわけじゃないんだと、そのとき実感したんです。途中で立ち止まった場所から、また歩き出せる。それだけのことなんだと。

もちろん、再飲酒が続くようなら話は違う。自分の場合はあの夜の1度きりだったが、もし飲む頻度や量が増えていくような感覚があるなら、専門家や医療機関への相談を早めに考えてほしいと思う。自分の体と正直に向き合うことが、何より先に来る。

「また飲んだ日」を持っていることの意味

今、断酒3年を過ぎた自分のノートの中に、あの夜のページはある。消えていない。

あのページがあることで、自分は「完璧な断酒記録を守っている人」ではなくなった。でもその代わりに、「再飲酒という出来事を経て、また選び直した人」になった。どちらがいいかというより、後者の方が自分には正直だったんです。

再飲酒を経験した人に伝えたいのは、「また始めればいい」という軽い慰めじゃない。あの翌朝に自分がやったのは、ノートを開いて、事実を一行書いて、また今日の自分で過ごし始めることだけだった。それで十分だったということを、ただ正直に書いておきたかった。

7月の夜はまた来る。冷房の効いた個室も、隣から注がれるグラスも、また来るかもしれない。でも今の自分には、あの翌朝の経験がある。それは、思っていたより小さくない財産だと感じています。

※本記事は一般情報であり医療的助言ではありません。再飲酒が続く、量や頻度が増えているなど気になる症状がある場合は、医師や専門機関にご相談ください。