最初の夜は「手」が迷子だった

断酒を始めてすぐの頃、夜のいちばんの難所は「手の置き場所」だったと思う。ソファに座って、テレビをつけて、さあ、次は何をするんだっけ——という、あの宙に浮いた感覚。それまでグラスを持つことで「夜モードに切り替わっていた」んだなって、なくして初めて気づいた。

振り返ってみると、私にとってお酒は「夜の始まりの合図」だったんですよね。飲む、くつろぐ、眠る、という一連の流れがパッケージになっていて、最初のピースを外したら、残りのピースもどこへはめればいいのかわからなくなってしまった。それが断酒直後のリアルな夜だった。

だから最初の数週間は、正直なところ夜が「長かった」。悪い意味で、ではなく、文字通り、時間の密度が変わってしまったような感じで。8時になっても9時になっても、眠くならない。身体がまだ新しいリズムを探している途中だったんだと思う。

「何もしない時間」に意味をつけようとして、失敗した

手持ちぶさたを解消しようと、最初に試みたのは「夜を埋めること」だった。ヨガ動画を探したり、読んでいなかった本を引っ張り出したり、急に料理の下ごしらえを始めてみたり。でも正直、どれも続かなかった。

5年やってみて気づいたのは、「夜を生産的に使わなければ」というプレッシャー自体が、疲れの原因になっていたということ。お酒をやめた代わりに「有意義な夜」を証明しようとしていたんですよね、無意識に。

転換点になったのは、断酒して3か月くらい経ったある夜、ノートを開いてその日の気分を書き始めたとき。特別なことじゃない、「今日はちょっと疲れた」「夕飯のスープがうまくできた」くらいの一行。でもその一行を書くだけで、夜がふっと落ち着いた。埋めなくていい、証明しなくていい、ただ「今日の自分」を一行残すだけでいい——そう思えた瞬間から、夜との関係が変わり始めた。

記録ノートが「夜の軸」になるまで

書くことは、整理することじゃなかった

ノートを続けるうちにわかってきたのは、書くことの目的が「整理」や「反省」じゃないということ。私のノートには、うまくいかなかったことも、特に何もなかった平凡な夜も、同じ重さで並んでいる。気分をジャッジしない、ただ記録するだけ。

これが夜の過ごし方に与えた影響は大きくて、「今日の夜はどうだったか」を言語化する習慣ができると、夜そのものへの注意が向くようになった。夕飯後の身体の感覚、窓から入る風の温度、読んでいたページのにおい——そういう細かいことに気づける夜が、少しずつ増えていった。

5年分のノートが見せてくれたもの

今、5年分のノートを棚に並べると、それなりの厚みがある。たまに古いものをぱらぱらめくると、断酒1年目の夜がいかに「試行錯誤」だったかがよくわかる。「眠れなかった」「手が暇だった」という記録の隣に、「でも朝がすっきりしてた」という一行がある。

5年やってみて気づいたのは、夜の質は「何をするか」よりも「どんな状態でいるか」に左右されるということ。何かを成し遂げる夜より、自分の身体の声をちゃんと聞ける夜のほうが、翌朝の気分がいい。それはノートの記録が、5年かけて教えてくれたことだなって思うんです。

今の夜のリズム——5年かけて落ち着いた形

「夜の入り口」を決める

今の私の夜には、小さな「入り口」がある。夕飯を終えたら、まずお気に入りのカップにハーブティーを淹れる。これだけ。それまでお酒が担っていた「切り替えの合図」を、この一杯が代わりに担うようになった。

香りがあること、温度があること、手に持てること——この三つが揃うと、身体が「夜モードに入っていい」と判断するらしくて、数年続けるうちに完全に習慣として定着した。特別な茶葉でなくてもいい。私が今使っているのは、スーパーで買える普通のカモミールだ。

「やること」より「やめること」を決めておく

夜に何をするかより、何をしないかを先に決めておくと、夜がずっと扱いやすくなった。私の場合、夜9時以降はスマートフォンのSNSを見ない、というルールを3年前から続けている。完璧に守れているわけではないけれど、「見ない方向に戻る」という意識が生まれたことが大事だと思っている。

やめることを決めると、その分の時間が「何もしていない時間」として残る。最初はそれが落ち着かなかったけれど、今はその空白をかなり好きになった。考えがゆっくり動く時間、とでも言えばいいか。ノートを開くのも、本のページをめくるのも、たいていこの空白の中から始まる。

シラフの夜は「育てるもの」だと気づいた

断酒直後の夜と、5年後の今夜を並べると、まるで別の夜だなって思う。でも、急に変わったわけじゃない。少しずつ、試して、記録して、また試して——そのくり返しの積み重ねが、今の夜を作ってきた。

振り返ってみると、シラフの夜の過ごし方に「正解」を探していた時期が一番しんどかった気がする。正解を見つけようとするより、今夜の自分に何が合っているかを、その都度たしかめていく——そのほうが長く続く。夜は毎日やってくるから、長く続く方法のほうがずっと大事だ。

5年やってみて気づいたのは、シラフの夜は「完成させるもの」じゃなくて、自分のペースで「育てていくもの」だということ。今夜も、ハーブティーを淹れて、ノートを開いて、一行だけ書く。それだけで、今日も悪くなかったなって思える夜になる。

まだシラフの夜に慣れていない人がいたら、ひとつだけ伝えたいのは、最初の「手の迷子」は一時的なものだということ。焦らなくていい。夜は、これからも毎日あなたのところにやってくるから。

※本記事は一般情報であり医療的助言ではありません。体調や生活習慣に関するご不安は、医療機関にご相談ください。