最初の夜は、ただ長かった

授乳が終わって、子どもがまとまって眠るようになったのは、生後8か月を過ぎた頃だった。それまで「夜」という概念がほとんど消えていた私に、ようやく「子どもが寝たあとの時間」が戻ってきた。

でも、そこにお酒はなかった。授乳中から自然と飲まなくなっていたし、卒乳のタイミングで「また飲もう」と思わなかった。選んで飲まないスタイルに移行していたのだと、あとから気づいた。

問題は、夜が「空白」に見えたことだ。以前の私にとって、夜にお酒を開けることは「ここから自分の時間が始まる」合図だった。その合図がなくなった夜は、なんとなく手持ち無沙汰で、ただ長く感じた。スマホをスクロールして、気づいたら1時間経っている、という夜が何度もあった。

夜の「入口」を探していた時期

儀式のように思っていたもの

振り返ると、私にとってお酒は「夜の入口」だった。グラスを開ける音、最初のひと口の冷たさ、そこから始まるゆるやかなモードチェンジ。それがなくなると、夜という時間にうまく入れない感覚があった。

だから最初の数か月は、「何か別の入口」を探していた。ハーブティーを試してみたら、悪くなかった。けれどそれだけでは足りなくて、夜のモードがなかなか切り替わらなかった。仕事や育児の続きみたいなテンションのまま、気づいたら眠くなってベッドに倒れ込む、という夜が続いた。

「何をしないか」より「何を置くか」

転機は、夜の時間に「何かをやめる」という発想を手放したことだった。スマホを見ない、とか、SNSを閉じる、とか、「〜しない」の積み上げでは夜の手触りが変わらなかった。そうではなく、「この時間に何を置くか」という問いに切り替えてみたら、少しずつ夜の輪郭が変わり始めた。

飲まない夜に置くようになったもの

読書ではなく、「読み返し」

新しい本を読もうとすると、育児疲れの頭には重かった。だから私がたどり着いたのは、「好きな本の好きな章だけ読み返す」という方法だった。物語の展開を追わなくていい。知っている場面を、知っている気持ちで読む。それが思いのほか、夜の時間をやわらかくしてくれた。

子どもが生まれる前に好きだった小説、旅先で買ったエッセイ、育児書の中で線を引いたページ。そういうものを手に取るようになって、自分の「好き」の記憶がじわじわと戻ってくる感覚があった。

音楽を「ながら」にしない夜

以前は音楽をかけながら何かをする、というスタイルが多かった。でも飲まない夜に試してみたのは、音楽だけを聴く時間を作ること。家事をしながらでも、スマホを触りながらでもなく、ただソファに座って音楽を聴く10分間。

最初は「もったいない気がする」と思っていた。でも続けてみたら、その10分が夜の中でいちばん「自分に戻る」時間になっていた。アルバムを1枚通して聴き終えると、なぜか頭の中が静かになっていた。

「書く」ではなく「並べる」夜

日記は続かない性格だと思っていた。毎日書かないといけない、という思い込みがあったからかもしれない。そのかわりに始めたのが、その日気になった言葉やできごとを、メモアプリにただ「並べる」だけの習慣だった。

文章にしなくていい。箇条書きにしなくていい。「今日、娘が初めて『おそら』と言った」「夕ご飯のトマトスープがうまくできた」「なんとなく肩が凝った一日だった」。それだけでいい。1週間後に読み返すと、意外なほど「あの日の自分」が立ち上がってきた。

2年経って変わったこと、変わらないこと

ソバキュリを選んで2年。飲まない夜の「入口」は、もうそれほど意識しなくなった。気づいたら子どもが寝たあとに自然と自分のペースに切り替わっている、という夜が増えた。

変わったと感じるのは、夜の「密度」の感覚だ。お酒を飲んでいた頃の夜は、気持ちよくぼんやりしていた記憶がある。悪くはなかった。でも翌朝、「昨日の夜何してたっけ」と思うことが多かった。いまの夜は、翌朝に「昨日はあの本を読んで、娘の寝顔をしばらく見ていたな」と思い出せる。その違いが、夜の密度の違いだと私は感じている。

変わらないのは、「飲まない」を正解だと押しつけたい気持ちがまったくないこと。お酒を楽しむ人の夜も、当然好きな形で過ごせばいい。私は「選んで飲まない夜」を選んでいるだけで、それが誰かにとっての正解である必要はないと思っている。

七夕の夜に思うこと

今日は7月7日、七夕だ。子どもが保育園で作った短冊を持ち帰ってきた。「おそとでいっぱいあそびたい」と先生が代筆してくれていた。

子どもが寝たあとの今夜、私は何をするだろうか。たぶん、いつもどおりの静かな夜になると思う。ハーブティーを淹れて、好きな音楽をかけて、しばらく娘の短冊を眺める。特別なことは何もない。でも、その「何もない」の中身が変わったことを、2年前の私には伝えてあげたいと思う。

夜は、お酒なしでも十分に「自分の時間」になる。入口は探せば見つかるし、見つからなくても焦らなくていい。夜の密度は、時間の長さじゃなくて、そこに何を置いたかで決まるから。

※本記事は一般的な情報提供を目的としており、医療的助言・診断・治療の推奨を行うものではありません。健康に関するご不安がある場合は、医療機関にご相談ください。