あの夜、私はキッチンに立ち尽くしていた

7月の夜、子どもをやっと寝かしつけて戻ったリビングは、まだ昼間の残りかすでごちゃごちゃしていた。おもちゃが三つ、脱ぎっぱなしの靴下が一足、読みかけの絵本。それを片づける気力もなくて、私はキッチンでぼんやりと流しを眺めていた。

その日は、ちょっとしたことで夫とすれ違っていた。大きな喧嘩ではない。むしろ言葉が少なすぎて、何も解決しないまま夜になってしまった、そういう種類の「もやもや」だった。育児中にしょっちゅうある、あの感じ。相手が悪いわけでも、自分が悪いわけでもたぶんないけれど、どこにも持っていけない気持ちが胸のあたりにじわっと溜まっていく夜。

以前の私なら、冷蔵庫を開けていたと思う。ビールでも缶チューハイでも、何かひとつ取り出して、「まあいいか」と流していた。でもあの夜、私はそうしなかった。ソバキュリを始めて2年になる今、それが習慣になっているというより、なんとなく「飲まないほうを選んでみたい夜だな」と思ったのだ。

感情を「流す」のと、「置いておく」のは違う

お酒は感情をどこかへ運ぶのではなく、蓋をする

私はソバキュリを「断酒」とは少し違うニュアンスで捉えている。飲まないと決めているのではなく、飲まなくてもいい夜を選んでいる。その違いは小さいようで、自分の感情との付き合い方にずいぶん影響している気がする。

お酒を飲んでいた頃、感情が波立つ夜はとりあえず一杯で「落ち着かせる」ことができた。でもそれは、感情が消えたわけではなかった。翌朝になるとその感情は少しむくんで、より扱いにくい形で戻ってきた。寝起きから頭が重くて、昨夜のもやもやが霧の中にあるような感覚。それを「二日酔い」とひとくくりにしていたけれど、今思えばメンタルの波が処理されないまま翌日に繰り越されていたのだと思う。

飲まない夜は、感情がそのまま「そこにいる」

あの夜、私はお茶を淹れてソファに座った。もやもやは消えなかった。むしろはっきりとそこにあって、私はそれを眺めるようにしていた。「なんで悲しいんだろう」「疲れているだけかな」「夫に何か言いたかったのかな」。頭の中でそっと転がしながら、ぬるくなっていくお茶を飲んだ。

不思議なことに、30分ほどそうしていると、もやもやの輪郭がすこし見えてきた。私が欲しかったのは「ねぎらいの一言」だった、たぶん。それだけのことだった。解決しないけれど、わかった。それだけで、少し胸のあたりが軽くなった。

感情の波は、乗り越えるものじゃなかった

「波に乗る」という発想に変わった夜

ソバキュリを始めてから気づいたことのひとつが、感情の波のサイズが変わった、というよりも、波の「見え方」が変わったということだ。飲んでいた頃は、感情の波が来るたびに「早くおさめなければ」という焦りがあった。波を小さくしようとしていた。でも飲まない夜に感情と向き合っていると、波はそのサイズのまま来て、そのサイズのまま引いていくことがわかってきた。

子どもがいると、感情のコントロールが難しい場面が増える。思い通りにならないことが一日に何度もあって、小さなストレスが積み重なる。それをお酒でリセットしようとすると、リセットしたはずの感情がどこかに残り続けて、翌日また同じ場所からスタートする感覚があった。

翌朝の「私」に会いに行く感覚

飲まない夜を選ぶようになって、翌朝の自分との関係が少し変わった。目が覚めたとき、昨夜の感情がちゃんと処理されている感じがある。全部解決したわけじゃないけれど、少なくとも「昨夜ちゃんと向き合ったな」という手応えがある。それは達成感というより、もっと静かなもの。自分に対する小さな信頼、みたいなものかもしれない。

あの夜も、翌朝は早かった。子どもが6時前に起きてきて、いつもと変わらない朝が始まった。夫との間のもやもやはまだそこにあったけれど、私のなかでは「昨夜、自分の気持ちがわかった」という事実があった。それがあると、言葉を選ぶ余裕が少しだけ生まれる気がする。

感情の波がくることが、悪いことじゃないと思えるようになった

ソバキュリを選んでいる理由をひとつ挙げるとしたら、「感情がちゃんと届くようになった」ということかもしれない。お酒でトーンダウンさせなくなると、うれしいことも悲しいこともそのままのサイズで来る。それは正直、しんどい夜もある。でも、感情が来るということは、私がまだちゃんと何かを感じているということでもある。

子どもが笑う瞬間の、あの胸にじんとくる感覚。夫が何気なく「ありがとう」と言ってくれたときの、ほっとした温度。そういう小さなものも、以前よりくっきり感じるようになった気がしている。飲まないことで「感度が上がった」というより、ノイズが減った、という方が近いかもしれない。

感情の波は、来るから面倒なのではなく、来るのに気づかないまま処理できないことが面倒だったのだと、あの夜のキッチンでなんとなくわかった気がした。

今日の夜、何を選ぶか

別に、飲まない夜がいつも豊かというわけではない。ただ眠くてそのまま寝てしまう夜もあるし、もやもやが翌朝まで続く夜だってある。ソバキュリは「感情がうまくいく魔法」ではないし、私はそう思ったことも一度もない。

ただ、あの夜キッチンに立ち尽くしていた私が、冷蔵庫ではなくお茶を選んだのは、「飲まない夜の自分がどんなふうか、もう少し見ていたい」という好奇心がいちばん大きかった。2年続けているのも、たぶんその続きだ。

今夜も、子どもを寝かしつけたあとの時間がある。何を感じているか、少し聞いてみようと思っている。

※本記事は一般的な生活情報の共有を目的としており、医療的助言・診断・治療の推奨ではありません。心身に関するご不安は、医療機関や専門家にご相談ください。