あの夜のことを、ちゃんと書いておこうと思った

断酒5年、と言うと、「ずっと完璧に続けてきたんですね」と思われることがある。でも、振り返ってみると、そうじゃない夜が一度だけあった。断酒を始めて3年と少し経ったころの、秋の終わりのことだ。

その日は仕事のことで、ずっと胸の奥に小さな石が入っているような感じが続いていた。特別に激しい出来事があったわけじゃない。ただ、長く積み重なった疲れが、あの夜たまたまこぼれた。夕食後、気づいたら冷蔵庫を開けていて、夫が買い置きしていた缶ビールを手に取っていた。飲んだのはその一本だけ。でも、飲んだ。

翌朝のことを、今でも細かく覚えている。あの朝の最初の5分間が、その後の私の「立て直し方」の基本になったから。

目が覚めて、最初に感じたこと

白い天井を見上げながら、頭の中を観察した

目覚めは早かった。まだ外が暗いうちに目が開いて、すぐに昨夜のことが戻ってきた。胃のあたりに、じわりとした重さがあった。体のせいもあるし、気持ちのせいもあったと思う。

最初に来たのは「またゼロに戻った」という感覚だった。3年以上かけて積み上げてきたものが、一晩で崩れたような気がして、布団の中で少し固まった。でも、その次の瞬間に思ったのは、「今、自分は何を感じているか、ちゃんと見ておこう」ということだった。責めるんじゃなくて、観察する。それが私の中で、静かに浮かんできた。

ノートを枕元から引き寄せた

私はいつもベッドの脇に小さなノートを置いている。体調と気分を毎朝数行書くためだ。その朝も、起き上がらないままノートを引き寄せて、ペンを持った。

書いたのは、長い文章じゃない。「昨夜、缶ビール1本飲んだ。胃が重い。気持ちは落ち着いている。今日からまた始める」。それだけ。でも、その数行を書き終えたとき、不思議なくらい息が深くなった。5年やってみて気づいたのは、言葉にして書くことが、感情を「流れのある川」に戻してくれるということだった。言葉にする前は澱んでいたものが、書いた後は少しだけ動き出す感じがする。

「ゼロに戻った」は本当か、ノートが教えてくれたこと

3年分の記録は、消えていなかった

その朝、ノートを書き終えてから、過去のページをいくつかめくった。断酒を始めた最初の月の記録、半年後の記録、1年が過ぎたころの記録。そこには、あのころの自分の言葉が残っていた。「今日は誘惑が強かったけど飲まなかった」「夜ひとりでいたら少し寂しかった」「朝の目覚めが以前と全然違う」。

そのページたちは、昨夜のあと、一文字も変わっていなかった。3年分の積み上げは、消えていなかった。「またゼロに戻った」という感覚は、感情が作り出した幻で、事実じゃなかった。振り返ってみると、その発見がいちばん大きかったかもしれない。再飲酒は「リセット」じゃなくて、長い道のりの中の「一歩の踏み外し」に過ぎない。道そのものは、ちゃんとそこにあった。

記録があるから、戻れる場所がある

5年やってみて気づいたのは、日々の記録は「成功を証明するため」に書くんじゃないということだった。失くさないために書く。続いてきた自分の事実を、自分の手で残しておく。その積み重ねが、ふとした瞬間に「ここに戻っておいで」と引き戻してくれる。あの朝のノートがそうだった。

その日をどう過ごしたか

普段通りの朝ごはんを、普段通りに食べた

ノートを閉じてから、台所へ行った。お湯を沸かして、いつものハーブティーを淹れた。トーストを焼いて、バターを塗った。特別なことは何もしなかった。「今日からまた頑張る」と気合いを入れるでもなく、昨夜を引きずって食欲がないふりをするでもなく、ただ普段通りの朝ごはんを食べた。

それが、私にとっての「立て直しの第一歩」だったと思う。劇的な決意表明じゃなくて、いつもの朝の動作を丁寧になぞること。あの朝の台所の光の感じや、ハーブティーの湯気の匂いが、今でもはっきり思い出せる。

その夜のノートに書いたこと

1日が終わって、またノートを開いた。「今日は飲まなかった。朝ごはんをちゃんと食べた。それだけで十分だったと思う」。その夜書いたのは、それだけだった。「断酒再開1日目」という数字を書き込んで、ページを閉じた。

大げさにしない。引っ張らない。昨日のことは昨日のノートの中に置いておく。それが、あの夜から私が学んだことだった。

5年経った今、あの夜について思うこと

断酒5年が経った今、あの秋の夜を「失敗」とは思っていない。あの夜があったから、再飲酒した翌朝に自分がどう動くかを、一度体験として知ることができた。知識じゃなくて、体験として。

5年やってみて気づいたのは、長く続けることの強さは「一度も揺れなかった」ことじゃなくて、「揺れても戻れる場所を持っていた」ことだったということだ。ノートがその場所だったし、普段通りの朝ごはんがその場所だったし、あの朝の静かな5分間がその場所だった。

もし今、「また飲んでしまった」と思っている人がいたら、伝えたいことがある。あなたがこれまで積み上げてきたものは、昨夜の一晩で消えていない。今日の朝をどう過ごすかが、次の5年をつくっていく。責めるより先に、ノートでも手帳でもスマホのメモでも、今の自分の気持ちをひとこと書いてみてほしい。それだけで、息が少し深くなるから。

「立て直す」って、遠い場所へ戻ることじゃなくて、今いる場所から一歩踏み出すことだと思っている。

※本記事は一般情報であり医療的助言ではありません。飲酒に関するお悩みは、専門の医療機関や相談窓口にご相談ください。