夜10時は「後半戦」だった
断酒する前の自分にとって、夜10時という時間帯には独特の意味があった。仕事から帰って夕飯を食べながらビール500mlを1缶。風呂を出たあたりでもう1缶。夜10時ごろはちょうどその「2缶目の後半」だったんです。テレビをつけたまま、なんとなく眠くなるのを待つ。それが10年以上続いた「夜のデフォルト」だった。
健診でDがついたのは3年前の夏前のことで、γ-GTPの数値を見た瞬間、「ああ、そうか」とだけ思った。驚きはなかった。驚けないくらい、自分でもわかっていたんだと思う。その日を境に飲むのをやめた——というと聞こえはいいけれど、最初の数週間は「夜10時に何をすればいいのかまったくわからない」という、地味にしんどい状態が続いた。
最初の1か月、夜が「空白」になった
何かをする前に、まず「止まる」ことから始まった
飲まない夜の最初の印象は、正直に言うと「静かすぎる」だった。テレビの音も、外の雑音も、以前と変わらないのに、なぜか室内が広く感じた。自分の中のざわつきに、初めて気づいたんです。ビールを飲んでいる間はその感覚をずっとならしていたんだと、飲まなくなって初めてわかった。
最初の1か月は「何か生産的なことをしよう」と意気込んだけれど、ほとんど何もできなかった。読みかけの本を3ページ読んで閉じる。動画を再生して5分で止める。それでいい、と今なら思う。あの時期は「飲まない夜の感触に慣れる」という、それだけで十分だったんです。
「何もしない」を責めなくなるまで
断酒して2か月目ごろ、自分の中にある小さな批評家の声に気づいた。「せっかく飲まないんだから、もっと有効活用しなきゃ」という声。これが意外とやっかいだったんです。夜の時間を「生産性」で測ろうとするほど、かえって落ち着かなくなる。
あるとき、何もせずにただ窓の外を見ていた夜があって。それが思いのほか悪くなかった。「何もしていない」のに、頭の中はそれなりに動いていた。翌日の仕事のこと、子どものこと、自分が最近気になっていること。飲んでいるときはアルコールが思考の表面をならしていたわけで、素面でいると「考えたいことが自然に浮かんでくる」という感覚があった。
1年を過ぎて、夜の時間が「自分のもの」になった
ルーティンよりも「問いかけ」が先だった
「断酒したら夜の時間を何に使えばいいか」という問いに対して、ネットにはたくさんのアドバイスがある。読書、筋トレ、日記、瞑想……。自分もいくつか試した。でも正直に言うと、「これをやれば夜がうまくいく」という決め手はなかったんです。
1年を過ぎたあたりで気づいたのは、「何をするか」よりも「今夜の自分はどういう状態か」を先に確認する癖がついていたということ。疲れているなら無理に動かない。頭が動くなら読む。体を動かしたいなら軽くストレッチをする。飲んでいたころにはなかった「今夜の自分との対話」が、ごく自然に生まれていた。
「眠くなる前」の30分が一番おもしろい
今の自分の夜のピークは、眠気が来る少し前の30分だと気づいた。夜10時半から11時くらいの時間帯。脳がゆっくり落ち着いてきて、でもまだ動いている。このゾーンに、以前は飲み終えた惰性で入り込んでいたんです。
今はそこで、翌日に読む本のページを開いたり、気になっている問いをノートの端に書き留めたり、あるいは何もせずに天井を見上げたりする。どれが正解ということもない。ただ、その30分に「意識がある」という感覚が、飲んでいたころとはまったく違う。
3年経って、夜の時間に感じていること
断酒3年目の今、夜の時間について思うことをひとつだけ挙げるとすれば、「夜が長くなった」ということじゃないかと思う。時計の上では同じ24時間なのに、夜の密度が変わったんです。
飲んでいたころの夜は、6時から10時の4時間がある意味「一方向」だった。ビールを開ける→飲む→眠くなる、という流れに乗るだけで夜が終わっていた。今は、夕食後から眠るまでの時間に、いくつかの小さな「分岐」がある。本を読むか、考えるか、話すか、ただ座っているか。その分岐の一つひとつが、夜を長くしている気がする。
もちろん、飲まない夜がすべて豊かかといえばそんなことはない。疲れた夜はただ眠るだけだし、何もできなかった夜もたくさんある。でも、そのどれもが「自分が選んだ夜」だという感覚は、3年経った今も変わらない。
飲まない夜を「楽しむ」ためのヒント、3つ
自分の3年間の経験から、これは続いているという習慣を3つだけ挙げてみる。「やらなければならないもの」ではなく、試してみてよかったという意味で書いておきたい。
- 眠くなるサインを観察する:アルコールが抜けると、自分の「本当の眠気」がわかるようになる。まぶたの重さや体の感覚を確かめながら就寝時間を決めるようになったことで、朝の目覚めが変わった。
- 「今夜は何が気になっているか」を1行書く:日記でも手帳でもなく、ただの走り書きでいい。飲まない夜に浮かんだことをひと言メモするだけで、翌日「あ、こんなこと考えてたんだ」と気づく場面が増えた。
- 「夜の途中にお茶を入れる」という動作を置く:かつてのビールを開けるという動作が、「夜のスイッチ」だったんだと思う。飲まない夜にも、似たような「切り替えの動作」を置くと、夜の後半が安定しやすかった。
どれも大げさなことではないけれど、自分にとっては確かに効いた。飲まない夜の入り口を、少しだけなめらかにしてくれた習慣たちです。
飲んでいた夜は「何かを消費する時間」だった。飲まない夜は「何かを発見する時間」になった。3年前の自分に教えてあげたいのは、そのことだけかもしれない。
※本記事は一般情報であり医療的助言ではありません。健康上の不安や飲酒に関するお悩みは、医師や専門家にご相談ください。

