「さあ飲もう」がなくなった夜、最初は手持ち無沙汰だった

授乳が終わって、子どもがようやく通しで眠れるようになったのは、生後8か月ごろのことだった。それまでは夜中の授乳で何度も起きていたから、夜に飲むという発想自体がなかった。でも子どもが安定して寝てくれるようになったとき、ふと思ったのだ。「あれ、今なら飲めるな」と。

そのとき、不思議なことに、あまり飲みたいと思わなかった。授乳期に「飲めない」から始まった生活が、気づけば「飲まなくていい」に変わっていた。これがソバキュリへの、私なりの入口だった。

ただ、問題はそこから先だった。「飲む」という行動が夜のルーティンから消えたとき、私の夜は急にぽっかり空洞になった。夕食の後片付けを終えて、子どもを寝かしつけて、22時ごろにリビングへ戻る。さあ何をしよう——そう思いながら、なんとなくスマホをいじって、いつの間にか眠くなって、ベッドへ。そんな夜が続いた。

飲んでいたころは、グラスを持つことが「休む」の合図だった。それがなくなって初めて、私はそのことに気づいた。お酒は飲み物である前に、「ここからはオフ」を知らせるスイッチだったのだ。

スイッチを別のものに替えてみたら、夜が動き出した

「儀式」のサイズを小さくしてみた

最初にやってみたのは、グラスだけ残すことだった。ワイングラスにスパークリングウォーターを注いで、ソファに座る。バカみたいと思いながらも、やってみたら、これが意外と機能した。

グラスを持つ手の感触、液体の冷たさ、炭酸の弾ける音。その小さな感覚の積み重ねが、「今日の仕事も育児も終わった」という信号を体に送ってくれる気がした。形から入るのが好きな私には、ちょうどよかった。

今は季節によって変えている。夏はミントを浮かべた炭酸水、秋冬はジンジャーを入れたホットドリンク。中身よりも「自分のためだけに作る」という行為が、夜の入口になっている。

「何もしない時間」をスケジュールに入れた

飲まない夜に最初に陥りがちなのが、「せっかく素面だから何か生産的なことを」という思考だと私は思う。勉強しよう、本を読もう、運動しよう——全部正しいのだけれど、それを毎晩続けようとすると、夜が「もうひとつのタスク時間」になってしまう。

子育て中の昼間は、基本的に自分のペースでは動けない。子どものリズムに合わせ、家事をこなし、仕事があればその合間に詰め込む。だから夜こそ、「何もしなくていい時間」が必要だった。

私がたどり着いたのは、「ぼーっとする時間を意図的に取る」ことだった。スマホを伏せて、ただ座って、今日あったことを頭の中でぼんやりなぞる。子どもの笑った顔とか、昼に食べたもののこととか。それだけ。10分もすると、不思議と「今日も悪くなかったな」という感触が残る。

夜の時間が変わったことで、気づいた体のこと

ソバキュリになって数か月が経ったころ、夜の眠りが変わってきたと感じた。以前は「寝落ち」に近い形で眠っていたのが、布団に入って意識がゆっくりと落ちていくような感覚になってきた。朝目が覚めたときの頭のすっきりさも違う。

これを「だからお酒はよくない」とは言いたくない。育児で疲れているとか、年齢的な変化とか、他の要因もきっとある。ただ、「夜の時間の質が変わった」という実感は確かにあった。それが睡眠に何らかのかたちで影響しているかもしれない、という程度の感覚として、ここに書き留めておきたい。

お酒なしで過ごす夜は、眠るまでの時間がじんわりと長く感じられる。それが最初は物足りなかったのだけれど、今はその「長さ」が好きになっている。一日の余韻を味わえる時間、とも言えるかもしれない。

「何を楽しむか」より「誰として夜を過ごすか」

夜の自分を好きになることが、続く理由になった

ソバキュリを続けていて、じわじわと実感していることがある。それは、「飲まない夜」を続けることで、夜の自分を少しずつ好きになってきた、ということだ。

以前は、夜にお酒が入ることで「今日の自分」に少しだけ色がついていた。それはそれで楽しかった。でも今は、素のままの夜の自分と向き合う時間が増えた。読んだ本の感想をノートに書いたり、来週のご飯の献立を考えたり、特に意味のないことを考えたり。どれもお酒がなくてもできることだけれど、頭がはっきりしている分、「あ、私こういうことが好きなんだ」という発見が積み重なっていく。

これは「生産性が上がった」とは少し違う。もっと個人的な話で、「夜の自分と友達になっていく」感覚に近い。

「完全にやめる」ではなく「今夜は選ばない」でいい

私がソバキュリを続けられている一番の理由は、たぶん「絶対に飲まない」と決めていないことだと思う。特別な夜に、好きな人と、おいしいお酒を一杯飲むことを、選択肢から外していない。

それでも、日常の夜の9割以上は飲まないことを選んでいる。それは義務感ではなく、「今夜は飲まないほうが自分に合っている」という感覚から来ている。この「感覚を持てるようになった」こと自体が、2年間で一番大きな変化かもしれない。

夜の過ごし方に正解はない。ただ、「飲まない夜」を積み重ねる中で、自分が何を好きで、どんな夜が心地いいかが、少しずつ見えてくる。子どもがいると、昼間の自分は誰かのための自分になりがちだから、夜の時間はその分だけ貴重だと感じている。

2年経って、夜に「もったいない」と思わなくなった

ソバキュリを始めたばかりのころ、「飲まない夜って、なんかもったいない気がする」と友人に話したことがある。「せっかくの夜なのに」という感覚だ。

でも今は逆で、飲んで過ごした夜の記憶がどこか曖昧だったことに気づいている。お酒が入ると、夜の時間が少しふわっと流れていた。それが悪かったわけではないけれど、飲まない夜に積み上がっていく小さな記憶——子どもが今日言い出した謎の言葉とか、読みかけの本のあの一節とか——は、翌朝もちゃんと残っている。

「夜を鮮明に生きている」という感覚、これがソバキュリを続けてよかったと思う、今のいちばんの理由だ。

※本記事は個人の体験に基づく一般情報であり、医療的助言・診断・治療の推奨を行うものではありません。健康上の不安がある方は、医療機関や専門家にご相談ください。